57章 59章 TOP



58章 守り手への決意




屋根の上で日が暮れるのを待つ。これから夜になる。また日が昇るまで屋根の上からは降りない。
この地に魔物がどのくらいの頻度で襲来するかを知らないからな。昼間現れた魔者のこともある。
観測しておく必要があるだろう。どのくらいの頻度で魔物が現れるか、また害はどれほどのものか。
最初は見た様子と違って物騒な地域なのかとも思ったが、そうでもないらしい。
なんせ、あいつは親がくるから剣を隠せといったくらいだ。
そして家の構造からしても、その言葉に嘘はないのだとわかる。
ざっと見ただけでもこの付近の家屋にはさして大きな防犯対策が講じられていないことは判断がついた。
形ばかりの防御機能として鍵が一つか多くても二つ、窓や扉についているのみ。
雨戸には風除けという最低限度の強度しか期待できそうにない。魔物の襲撃に耐え得るには程遠く、脆い。
つまり魔物や害獣除けを各個人で講じる必要のない安全圏内ということなのだろう。農村や山村ではない、少なくとも。
小規模であれ都市部の居住区ならば、講じる必要があるのは対人用のみ。鍵は人に対して最も有効性を発揮するからな。
そして、使う鍵が簡易の一つで済むということは平時に現れる泥棒は皆無という認識が住人の間では当然なのだろう。
魔物からも人からも、何かを奪われ破壊される恐怖を抱かずにいられる環境は確かに理想郷だ。
こんな環境に長年親しんできたのならば、確かにあれだけ甘い人格がホイホイと形成されるのにも合点がいく。
自分の活動領域に日常的な危険が潜むことに自覚を持てないのなら、危機意識の薄さは必然の結果。
無駄を廃していった結果があいつの姿に繋がっていたんだな、あれでもしっかりと摂理に則っていたか。
危機意識を所有していることが無駄になるということなど、全く以てあり得ない話だがな。
あいつ自身の認識の甘さから子供と見ていた。だが、この環境に身を置き続ける限りそれは成人とは関与しないのだろう。
しかし、それではいつか必ず甘さゆえに自分の足を掬う。
平穏というのは不確かな要素で生じた錯覚であるとは、ゆめゆめ思うこともなく生涯を終えることは出来ない。
理想郷の出自であれ、既にその外の世界に踏み込んだ以上はそうだ。
もう、あいつがどうなろうと俺の知ったことではない……とは思えなくなりつつある。
だから俺は警戒する。魔物の襲撃があった際に備えて剣も携えている。

しかし一つ魔物とは別の理由で気に掛かる。
何故この地域一帯では武器の所有が禁じられているのか理解できない。
階級分けによって一部の層に制限が課せられているのであればまだしも、そうではなさそうだった。
この国、日本というのは武器を持つには何人であれ国家の許可が必要だという。
だがそもそもそんな国名、聞いたこともない。歴史の中で消えた古代国家にも覚えのない名だ。
世界には五大陸と九島を主として大国と小国、非公認もあわせれば七百の国があるという。
非公認の国というのは、おおかた紛争中の君主のいない国。非公認の国は元の地名をつけて呼ぶのが慣習だ。
だが……非公認であるにしては穏やかすぎる。紛争をしているようには思えない程に。
国として安定しないために、非公認の国というものが存在する。その前提条件が間違いだとでもいうのか。
そして、魔物がいつ襲来するかもわからないというのに、武器を持つ必要が認められないとはどういうことだ。
何か大きな国の守護がいるとでもいうことか。それによって戦う必要はないというのか。
しかしそれでは国家として間抜けすぎる。そんなものをくぐり抜けることができる奴もいるだろう。
どんなに厳重な警備と厚い壁で隔てようと、超える者は超えて来る。
武器所有を罰則を用いて禁じているのは侵略があらば無抵抗で支配されろと要求しているとしか思えない。




「レイ、晩飯ーっ!」
時刻は日も沈んでいっている頃。太陽の鮮烈な光には少し、肌が熱くなる。
季節は初夏になる頃だろう。だが、この地の気温は高いな。
昼頃までは高山の陰湿な場所にいたせいか、まだ身体がこの地の気候に慣れていない。
「ちゃんとお前の分もあるぞー」
……この家の奴がさっきから叫んでいる。人間の耳よりも物音をよく聞きつける俺の耳には煩わしい。
別に何も食べずとも数日くらいならば支障はきたさないというのに。

星と月が空に浮かび闇が地上を包みこむ。地上から発せられる僅かな灯りでは闇をうち消せない。
日の強い束縛は絶たれ、闇に潜む存在が活動範囲を広げて己以外の何かを喰らいに踊りでる。
月の光を浴びて求める力を増やしその獲物を定め、闇の中にあって無力なものは異形に捕まる。
たとえよく知った場所でも夜は他者の領域となる、夜。



月明かりのある夜、建物の上から魔物の襲撃を待つ。魔者は、おそらくこの夜は来ない。
魔者は弱い。魔物の血を半分しか引き継がない。そのせいで人以上魔物以下の力しかない。
月の無い夜ならば、話は別だが。魔物は新月にもっとも力が強くなり、変化が起きる。
魔者にも月の満ち欠けの影響は出るが、何故か魔者は満月ではなかった。
新月でもないのに夜に外を歩けば魔物に喰らわれるのは魔者も同じだ。
虫の鳴く声や風のざわめきの中に敵の気配を探るが、今は魔物も魔者の気配は微塵もない。
風は弱く、草木の葉の掠れる音もあまりない。静けさに包まれている。
まったく殺気を感じない。普通の人間が暮らしているのだから当然かもしれないが。
剣は、今も俺の横に置いてある。座っている時に腰にさしていては動きがとりづらい。
だが……魔物が来ない事はともかく、この地はおかしい。地上の光がやけに明るすぎる。
空を見上げれば時々、星が点滅しながら動いていく。目に捉えられるほどにそれは他と比べて速い。
そして動きの速い星が見える時には決まって空から大きな音がする。
生き物の鳴き声を掻き消すことはないが。いままで聞いたこともない音だった。
『キ──ン』
「またか……」
また聞こえてくる空からの音にいい加減聞き飽きてきて、少しばかりうんざりとする。
空を見上げれば三点の赤い星が点滅しながら空を動いていた。そして星の上には白く細長い三叉の何かがある。
白いあれは何だというのか。星の上を飛ぶ魔物や魔獣の話など、聞いたことはない。
三点の星は、雲に隠れて見えなくなった。だが、しばらく空からの音は止まなかった。







夕焼け空を眺めている間に星々は昇り、朝焼けの空に全て沈んだ。
月と太陽が同席する朝。太陽が更にのぼり、月が輝きを失えば魔物の襲撃はない。
結局、最後まで魔物が現れる気配すらなかった。魔者も勿論。
そして人間が人間を襲うことも領域を侵すこともなく。
風が木を揺らす音や虫の鳴き声が地上の闇夜を満たし天上から降るのは薄れた轟音のみ。
船の汽笛が夜明けを告げる。おそらくは積荷を載せた船の出航だろう。ここは、海に近いらしい。
なるほど、あいつが生物を殺すことに躊躇う理由に頷ける。
東の空が白むのを眺めているうちに、不意にそんな考え事をした。
ここは平穏すぎる。血の匂いもしない。争いをする存在がいないからか。
自分の身をまもる気構えがなくとも死に絶えることはない。意思がなくとも生かされる。
世界の観方は育つ環境で決まる。死と直面していなければそれが真実。偽善とは、違う。
魔物は絶対の悪、恐怖の物だと感じたことがないのだろう。そして軽蔑の眼差しを持たない。
だから魔者の存在に対しても周囲の人間と変わらず接する。あいつにはそれが普通という感覚。
おかしいと感じる土壌すら存在しないのか、この空間には。
未知の存在に恐怖を覚えるのはヒトの備える本能。
だが一度でも言葉を交わしたのなら最早、恐怖の対象には当てはまらないのか。
春の太陽が夏には猛威を揮うとしても脅威を把握こそすれ恐れることはないかのように。
慣れない土地での徹夜で、俺も疲弊したのだろう。妙な考えばかり胸を渦巻く。

『チュンチュン……』

雀がさえずり、屋根の上に舞い降りる。翼のはばたきの先に、清海の姿が映った。
この家の隣があいつの家だということは昨日のうちから理解している。
何をしているか見てとるように分かる。おそらくは、あいつからも。
偶然窓の外に目を向けた清海と目線が重なったかと思うと窓の鍵を解除していく。音をたてて開いた硝子窓から身を乗り出す。
「レイ、おはよー。早いね」
その一言を言うとすぐに部屋の中に上半身を戻す。窓の閉じる音が軽く反響して青空に紛れた。
俺の返答など特に気にしてはいない様子だった。いたっていつものあいつだ。
「平穏……だな」
徹夜で一睡もしていない俺に、早い遅いの返事もない。だが、明日。
あいつらに遇うことがあれば……言ってやろう。朝の返事を。
だが今は、寝るとするか。月の光を浴びすぎた。そうしなければ調子が少し狂うかもしれない。
そもそもこの時点で思考回りが普段と違う。変な行動を起こす前に休みをとるに限る。
「おーい、朝飯――! っていうかそこで寝てたのか、レイッ!?」
日の光を浴びて、少し寝るくらいで良いだろう。それでちょうど良いはずだ。
「寝てるんなら起きろ──! 風邪引くぞ!」
「靖君、彼なら大丈夫だよ」
屋根の下での会話も、それきりで途絶えた。
今は回復が最優先事項なんだよ。返事も警戒も後だ、後回しにする。







NEXT

えー、すみません。ほとんどレイの一人劇場ですね。。ヤローがほとんどを占めてますし。 そして、自分が別世界に来たということを全く考えてないです奴は。 まあ誰も説明してないし。というか説明する場を設けようにも一人、勝手に別行動してるし。 ちょっとした認識の変化だけれど、それがあったことで今後の行動に繋がるので抜かせなかった話。 レイが清海以外に目を向けるようになる、起点が描きたかったのです。 あいつがオフェンスにしてディフェンスになることを自分で決めるに至るまでの第一歩。過去から未来への移行。